本について
アメリカの起業家ルーク•バージスによって書かれた、フランスの学者ルネ•ジラールが提唱した「模倣の欲望理論」について、現実での例などを交えて解説した本です。
きっかけ
おそらくTwitterにハヤカワの本でおすすめ!と流れてきて、内容的にも興味の湧くものだったので読むに至りました。
感想
全体
模倣の欲望理論というのは初めて触れましたが、結構納得のいくもので、とても勉強になりました。ただ翻訳がちょっと硬くて、単語のかかり方とかがつかめず何言ってるのかよくわかんないところがあったのが悔しかった。あとよく例えとかで全然知らんセレブとか学者がたくさん出てきた。
以下、トピック別に。
模倣理論について
独立した、無から生まれる欲望は存在せず、必ず何かから影響を受けている=他人を模倣しているのだ(それが周りの人が欲しがっているものを欲しがらない、という行動だとしても) という話には、かなり納得させられました。
フィクションですが、前読んだ「素晴らしい新世界」では、古い服を着続けるのは愚か、新品を常に買おうとか、旅行に行こうとか、そういう"物を買う、消費する行為が善である"という資本主義に適している考え方を、赤ん坊の頃からラジオで聴かせて無意識下にその価値観を浸透させる、というシーンがありました。これは極端な例ではありますが、でもこうやって、ありとあらゆる価値観というものは、無から生まれたり絶対的な定義として存在はせず、人間によって作られたものです。だから、(お腹すいたとかそういう基本的な生きるための欲求は置いといて)何かが魅力的である、欲しい!と思う、感じる=そのものが魅力的に思える価値観を持つということは、必ず誰かから影響を受けているということだよな、というふうに理解できるなと思いました。そもそも生まれた時には親が欲しがるもの子供は真似するわけですからね。
ただもう一段階驚きがあったのは、そもそも"他人が持っている"という事実自体が欲望を生む原因であるということでした。本の中にあった例とほぼ同じことがこの前自分に起こって笑ってしまったのですが、あるバンドのライブグッズについて、そこまで欲しいとは思っていなかったのですが、まあ何か買ってもいいかなーとサイトを見ていた時に、横からのぞいていた友達(その子はそのバンドのファンではない)に、「このTシャツめちゃめちゃ可愛いね!好き〜」と言われて、あまりチェックしていなかったその商品を見たところ、確かに可愛い、となり急に欲しくなったんですね。この本の理論では、この「私がTシャツを欲しいと思った」原因は、その子が欲しいと言ったからサイトをチェックし、好みのデザインであるということに気づけたから、ではなく、「その子が欲しがったから」になるんです。隣の芝は青いとも言いますが、中身は関係なくて、他人を真似する、つまり他人の欲望を真似しているんですね。
私はあまり流行りものに手をつけないタイプだと思っているので、この他の人が持っている(=他の人にとっては欲するに値するもの)という事実が自分がそれを欲する理由になる、というのは初めはそうかなーと思っていたのですが、改めて振り返ってみると私もその渦中にいるのだなということを自覚しました。例えばレストランを探す時は口コミを見るし、新しく何かを始める時も、先駆者を探したり。ゲームもレビューを見たり。
何を欲すればいいのかの基準は無からは生まれずわからないから、必ずモデルが必要であり、欲しがるものを他人を参照して決める。流行はその最たるものだと思います。ビジネスはそれを利用していて、ネットで買い物すると他の人が飼っている人気の似たようなものを勧めてくるし、本屋では売れてる本が平積みされ、購入数が誇示されています。
だから、人は自発的で合理的な理由に基づいて欲していると考えるけれども、実際には周りに影響されているわけですね。独立した欲望は存在しない。流行り物だからこそやらない、というスタイルも、"流行に流されない"というモデルが魅力的だからそれを真似しているという見方ができます。本の中で、"他人の中に見るほど、自分には見えなくなる"、"自分は周りの人とは違うと思った瞬間その人は最も弱くなる"、"偏見や弱さ、模倣には自分は影響されないと信じる気持ちは自分がゲームに巻き込まれている事実を見えなくする"と書かれており、むしろ、流行に流されない!と強く思うほど、流行にとらわれているとも言える気もしますね。
結局、どう頑張っても何かから影響を受けているわけで、物事はすべて全部相関(関係)しているんだな...と改めて思いました(この前読んだこの本で得た理論)。
それゆえ、自らの欲望がそうやって独立していないことを自覚し、何をモデルにしているのかを認識するのが、欲望に振り回されないために大事なんだなと思いました。
物欲だけでなく、行動も同じ理論が言えます。ゼロからなにかをよくするひとはほぼいない、誰もみんながやらないことをはじめたがらない。みんなは模倣したがる、それが流行りの服でも、snsでの叩きでも。
結局無から自力で何かが欲しくなると言うのは幻想であり、必ず何かモデルがいて、他人の生き方に憧れるのは、その中身を欲しているのではなく、”他人がしている”から魅力的なのだなと思いました。
モデルに振り回されていることを自覚し、モデルをはっきりさせることが大事なんだと思います。
人は異なるルールで動いているように見える人に惹かれる
他人が欲しがっているものは気にしないように見える人、あるいは同じものを欲しがらない人は、別世界の人間のように感じる。摸倣に影響されず、反模倣的にさえみえる。ほとんどの人はそうではないから、魅力的に見える。自分が誰かの真似をしていると思いたい人はいない。
これはよくわかるなと思ったし、この本で別の例として猫崇拝が出されていたのが分かりやすいし同じことなのかと笑ってしまいました。猫はこっちの意図なんて気にせず自由に振る舞ってる(ように見える)から、惹かれるのだと。
セレブの国、一年生の国
上に述べた、モデルを模倣する、というそのモデルについて、そのモデルとの距離から、二つの分類がされているのも興味深かったです。一つ目は、モデルとの距離が遠い場合。 時間的、空間的、社会的に距離が、隔てる物があり人の欲望を真似る場合で、そのモデルと接触する見込みがない場合。例えば、有名人、インフルエンサーとか、もう亡くなっている人とか、そういう人を真似る場合ですね。二つ目は、モデルと同じ時代、場所、社会に生き、モデルと接触する可能性が高い場合。例えば、昇進した同僚だとか、友達だとか、SNSで関わってる人とか、ですね。前者の世界は、本の中ではセレブの国(外的媒介の世界)とよばれ、後者の世界は、一年生の国(内的媒介の世界)、と呼ばれていました。二つとも、模倣をしているという点では同じなのですが、セレブの国の場合、モデルとなる人は、欲望を外的に媒介するだけで、直接の競争相手にはならない一方、一年生の国では、モデルが直接競争相手になりうるのが違いで、そこから、真似るというその行為の意味づけが違ってくるというのが面白かったです。例えば、自分に非常に距離のある人を真似る場合は、それを公言する人も多い一方、非常に距離の近い人を対象にしている場合は、あんまりそれって外にさないというか...例えば、すごく雑な例えですが、ゴッホの絵を真似るのと、例えば友達がめちゃくちゃ絵がうまくて、それが好きで真似るのは、なんとなく感じ方が違う気がします。本とか出してるビジネスマンを真似るのと、自分よりも早く昇進した同僚を真似るのでも、似たような感じ。後者の方は、大っぴらにはしませんよね、自分でも認めたくないくらいですが、意識はしてしまう、という現れ方をすることもあると思います。どちらにせよ、近い方が、なんか生々しい感じがするというか。で、特に、真似される時に感じる気持ちが顕著ですが、似ているほど脅威に感じて、争いが起きやすくなるんだそうです。というか、争いは、理解できない、まったく違うから起きるのではなく、むしろ近ければ近いほど、差がわかりやすいから起きやすいのだそうです。何か争いが起きる時って、違いがあるからだとは思うのですが、確かに、その違いがあまりにも大きすぎると、もう次元が違うというか、理解できない場合争いすら起きないと思うんですよね。価値観を部分的に共有しているからこそ、違いが気になるんだろうなと。これも学びでした。
他の人と比較してアイデンティティを作ろうとしないようにしたいです。
価値は常に模倣によって動く
常に、この人の言うことを信じれば大丈夫だという理屈で、その人が言ったから価値がある、というふうになることが多い、とも書かれていました。昔は、それが聖人崇拝で、免罪符なんかがまさにそうでした。今の時代は、専門家崇拝だと本に書かれていました。物が多すぎて、何を欲すればいいのかわからない今、欲する価値があるものとないものを教えてくれるのが専門家だと本には書かれています。読むべき本、映画、アプリなどを、、、 物理学などのハードサイエンスの世界では、研究成果を示す必要があるため、模倣的に、みんなに人気だという理由で専門家とされることがすくない一方、文化的分野では自称専門家や世間が専門家だというひとが色々と謳うことが多いと書かれていました。私はあんまりそういうのみないから大丈夫...と自惚れていましたが、例えばSFの本とか、たくさんあってどれを読めばいいのかわからないから、外したくないから、おすすめしてくれるアカウントとかフォローしてました。"誰々が言ったから"価値があるんだ、というふうな思考回路に安易に陥らず、知識の源を慎重に見極めて、それを信じたいと思っている人の数に惑わされず、正しいものに取り組まねば、ですね。あれですね、流行ってるものの価値が、"流行ってるから"だというパターンとかも多いですよね。じぶんはいいと思ったけど、みんながいいって言わないものには価値がないのか?っていう...
あと私は個人的に、サピエンス全史を読んで、今の時代はアルゴリズム崇拝になってきているんじゃないかなと思っています。アルゴリズムがそう言ったからそうなんだろう、アップルウォッチのいう通りに動くし、AIの判断が正しくなってきている。アルゴリズムをより正確にするために、ありとあらゆる行動のデータを集めることが価値があり、正しいのだというふうになってきている気がする。
スマホの更新はスロット
耳が痛かったのがこれ...確かに、TwitterのTL更新とか、ランダム性のあるもの刺激を延々と得ようとしてる様子は完全にスロットだなぁと思いました。
弾み車
模倣の欲望にはサイクルがあり、ネガティブで争いにつながる破滅的なサイクル1と、ポジティブで創造的なサイクル2があると書かれていました。サイクル1では、他人は自分が持っていないものを持っていて、双方の欲望が満たされる余地はないという誤った信念のもとに回っているもので、欠乏、恐れ、怒りといった心理から生まれるものだそう。そして、サイクル2は、豊かさや、相互に与え合うという心理から生まれ、人々はそれまで想像もしなかったものを欲するようになり、さらに他人がもっと前に進める欲に手を差し伸べるようになる。このとき、サイクルははずみ車で、それを回すのは大変で、初めは重く、ゆっくりだが、一つ一つが次につながり、だんだん加速していき、最後には自発的に回るようになるんだそうです。サイクル2を、"健康"で考えると、わかりやすくて、ていうか実体験で、痩せたい、健康になりたいな→ジムに行く→ちょっと食事気をつける→気をつけたのを台無しにしたくない、トレーナーさんにせっかくだからいい報告をしたいから健康的な食事をなるべくする→効果出る→うれしい→暴飲暴食しなくなる→効果出る→うれしい→積極的に運動したり、ヘルシーな食事をするようになる...といったように、健康になるための選択が、嫌なことではなく、やりたいことになる。自発的、内的動機による行動になるんですね。
note.com(↑この体験を書いた記事)
このサイクルを、別のことをやる際にいかせたら、いろんなことができるだろうな〜と個人的に思っていたのですが、この本にはまさにそのことが書かれていました。
欲望の弾み車を回すためには:
欲望とは経路依存性のプロセスである。今日の決断は、明日欲しがるものに影響する。自分の行動の結果が未来の欲望にどう繋がるか、図式化することが大切。核となる欲望(家族と過ごすとか)をきめ、この核となる欲望を満たしやすくするように、欲望のシステムを図にしてみる。ここで、一つ一つのステップが、"〜したい"というもので、最初と最後がつながるようなものにする。
なるほど、あらかじめそうやって、自分のやる気が出るようにシステム化してしまえばいいんだと気づきがありました。壮大な夢とかじゃなくて、何か実現したい小さなことでも、こういうサイクルに落とし込めるといいなと思いました。
また、ひとつ思ったのが、 これは自己完結しているサイクルですが、例えばこれが人が関わってくるサイクルになると、ネガティブな方は復讐の輪廻みたいになるのに対し、ポジティブなほうは、人に助けられたから、他の人を助けたくなる、と言ったように作用するのかなと思いました。相手がやったからやり返す、の裏表みたいな。弾み車を回すのは重く、最初の一手を出すのは簡単ではないけれど、そうやって、見返りを求めるのではなく、ギブアンドテイクではなくギブアンドギブの精神で、自分を差し出していくと、その信頼がまた別の人の信頼に繋がり、極端な話、もっと平和になるのかなぁと思いました。
人はヒエラルキーの生き物
人はヒエラルキーの生き物で、作中で、管理職とかをまったくなくしてフラットにいくぜ!ってやった会社が、全員がライバルになってしまって(役員制度がある場合は、同じ階級や役職の人が主なライバルだったが、それがなくなったので)、また、階級という明確な基準がなくなったことで、何を拠り所にすればいいのかわからなくなり、みんな疑心暗鬼に陥って、メンタルやられて、自殺者が出た、みたいな話が書いてあって、驚きました。本での例えに、私たちは常にヒエラルキーにそって生きている。何もわからないと、ヒエラルキーの基準がないと、模倣しかできなくなる。例えば、何も食べ物を知らない外国のビュッフェで、とりあえずみんなが並んでいるものをとる、といった感じで。と書いてあって、納得しました。ヒエラルキーをはっきりさせず、模倣しかできなくなると、自分の生き方や判断も全て模倣になる(みんながしてるから、みんながいいって言ってるから)のですね。これも、この前読んだこの本で、この世の中の物事は、相関というか、相対でしか物事を見れないから、何かが唯一絶対無二で、完全に正しい、独立している存在はないから、その中で優先順位をつけていかないといけないのかなとか思いました。価値観と模倣は違う、ということを肝に銘じたい。
私を守って欲しい、私が欲しいものから
このスローガンは、本を書いた人のではなく、実際にあった、別の方が書いたものなのですが、身に染みましたねー。
スケープゴート
特に一年生の国で起きやすい、模倣の危機を脱するための手段だと書かれていました。模倣の危機とは、競争的な模倣の欲望が共同体に広がり、区別できなくなる時に発生するもの、だそうです。小さなところで言えば、ラッパーの小競り合い、値下げ競争、最終的に行き着く先は、戦争になります。ここで、このような争いにおいて、全員対全員を、一対全員にすることで、人間たちは解決してきたという話が書かれていました。そうすることで、怒りが一点に集中し、一時的に全体の争いが抑えられるのだと。これは確かにそうだなと思いました。 フィクションですけど、人間が戦争してる時にエイリアンがやってきたら多分団結するし。笑皆悪者を求めていて、カタルシスが欲しいんですよね。(これは創作にも言えると思う) 誰かのせいにしたい、そいつが悪ければ悪いほどいい。怒りはコンテンツだと言ってた人がいたのですが、まさにその通りだなーと。SNSでの炎上も、もし最初の非難は完全に間違っていたとしても、その非難が認識を変え、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、離婚を疑い出したら全部証拠になる、ということで、ものの見方を変えればなんでも叩く理由にできてしまうので、みんな叩くんですよね。100点の生き方や態度なんてありえないのに。
また昔は、そういうスケープゴートが悪者だという価値観で人類は来ていたものの、聖書によって、誰でもスケープゴートに、犠牲者になりうるのだということが明かされたのだと本には書かれてました。だから、今ではむしろ、犠牲者と認識された人が最も強い文化的影響力を持つのだと。自分の行動の優位性や正当性を得る手段として、犠牲者の地位を主張するのだって書いてあって、こちらもあるよなあと読んでいました。夜と霧で、ホロコーストを生き延びた著者とその友人が、麦畑だったかな?の近くを歩いていて、ちょっと詳細は忘れてしまったのですが、友人がその麦畑を踏み荒らすような真似をして、その友人に著者は注意するのですが、その友人は、あんなに酷い目にあったのだから、こんなことくらいしても許されるだろう、みたいな返事をするんですね。夜と霧で書かれていた、アウシュヴィッツでの生活は、本当にひどいものだったので、友人の言うことも分かってしまうんです。
一番大事なのは、こういう仕組みが我々にはあるのだということを自覚し、俯瞰的に捉えることなのかなと思いました。そして、みんな何かしらの点で被害者であり、何かしらの点で加害者なのだろうなと。被害者だからといって、その後の行為が全て正しいものとなるわけではない。
共感とシンパシー
本には、シンパシーと共感(エンパシー)は違う、と書かれていました。シンパシーの接頭辞はsym-であり、「一緒に感じる」という意味で、自分の感情が、シンパシーの感情となる人の感情ととけあう。だから、模倣に乗っ取られやすく、店でメニューをみんなで選ぶ時とか、何か仕事上で決めないといけない時とか、その場での意見の一致に加担する材料となりやすいし、周りに引き摺られて、後から振り返ってほんとにそうだったか?となることもある。しかし、共感の接頭辞はem-で、中に入る、ことを意味する。すなわち、他者の経験や感情に"入り込む"能力で、そこでは、自分は自分の反応をコントロールする力は失わない。共感とは、相手の話、信念、行動、感情を"真似ることなく"、他者の経験を共有する能力であり、自分自身の人格や冷静さを失うまで共鳴することはない。すなわち、シンパシーと違って、反模倣的である。本での例がわかりやすかったです:共感があれば、炎天下の中、自分が署名する気がない嘆願書の署名を集めている人に、自分が大切とするものに情熱を注ぐことがどういうことかわかっているから、微笑みかけ、冷たい水を差し入れることができる(ただし、もちろん署名はしない)。したくない署名に署名するという、自分の犠牲を伴うことなく、人としての共通点を見つけることで繋がれる。共感力のある人は、自分が欲しくないものをなぜ欲しがる人がいるのかを理解でき、つまり、共感できれば、"他の人と同じにならなくても"、他の人と深く繋がれる。模倣のサイクルにとらわれず、表面上の薄い欲望を満たすようなサイクルにとらわれず、濃い欲望(後述)を育むのに役立てることができるのだと。
これは、なるほどしっかり分けて理解すべきだし、意識していきたいなと思いました。シンパシーとエンパシーとを分けて考えたことがないというか、多分日本語だとしっかり区別する言葉がないんですよね。だからもしかして、日本だとこのふたつがごっちゃになりやすいのかもと思いました。私は、いい意味でも悪い意味でも、日本は、同じであることがかなり強い力を持つ社会だと思っていて、だから、上記の署名の例でも、共感し水を差し入れるけど署名はしない人に対して、署名しないなんて冷たいやつだ、とか、大変だなって思って、あんまり興味ないけど署名してあげようとか(これはシンパシーの方)って捉える人も多いと思うんです。感情と責任が分離できてないというか。あーやっぱり、シンパシーは感情が同化してしまっているから、判断がそこに引っ張られて、模倣的になるんだな。自分の行動においてももちろん二つを切り分けて行きたい(例えば他の人が好きなものを無理して私も好きって言わなくてもいい)し、他人の行動についても、二つを切り分けて捉えるようにしたい(例えば自分の意見に友達が賛同してくれないのは、むしろきちんと自我を持って聞いていてくれる証)。
そして、 怒りや恐怖、不安は模倣によって簡単に増幅するが、破壊的なエンパシーは、模倣の危機を破壊するとも書いてありました。戦争は、みんなが共感すれば、互いに"可哀想と思うのではなく"、"同じだと分かれば"終わるのかなあ。
薄い欲望、濃い欲望
薄い欲望とは、ここまで書かれてきた、模倣によるもので、流行りの服だったり、ガチャだったり、憧れの他人の生き方だったり、お金を稼ぎたい、とか、そういう、対象がしょっちゅうかわり、伝染しやすく底が浅く、うわべだけの儚いものに根差しているものです。対して、濃い欲望とは、模倣的ではなく、長い時間をかけて形成されるもので、人生において変化し続ける環境に左右されないもの。例えば、芸術家なら、称賛されたい、評価されたいというのが前者で、重要な何かを表現したい、というのが後者になります。薄い欲望は、濃い欲望を覆い隠してしまうこともあり、濃い欲望は意識して育てないと、濃くならないと書かれています。例えで怖かったのが、何十年も引退を楽しみにしてきて、いざ引退してみたら満たされなかったという人。引退したいという望みは薄い欲望であり、家族と過ごす時間を増やしたいというのは濃い欲望だそうで、その理由は、感情的なものというよりは、環境を考えるとわかりやすい。前者は、理想的な状況の中であれをしたい、これをしたいという、"環境に左右される"、模倣的に得た考えでいっぱいな一方、後者は、"環境に左右されず"、今日からでも欲望を満たすことができ、長い時間をかけて、確かなものとなるから。
薄い欲望はそう簡単には消えないし、濃い欲望は自然発生するものではなく、育てるには月、年単位の時間がかかる。だから、薄い欲望を捨てて、反模倣的な(周りに影響されるものではなく、自分の中にある)、濃い欲望に意識を向けるのは、大事だけど難しい。
この本では、濃い欲望に意識を向ける方法として、「充足の物語」という、人生で最も満たされた経験(自分にとって最も意義ある成果はなんなのか、そしてそれはなぜなのか?)について、親しい人に聞いて話してもらい、そして同じように自分も語る、というものが書かれていました。これによって、コアとなる動機づけの原動力、その人特有の変わらない行動のエネルギー、が見つかるのだと。(ここで、MCODEが手法として記載されていました。受けてみたので後述)
濃い欲望は、まあ生きる意味、原動力ってもんなのかな。こういうことについて考えることはよくあるのですが、欲望という観点で考えたことがなかったので、新鮮でした。
比べるなら今周りにいる誰かではなく、昨日の自分、そして、それだけではなく、未来のモデル、矛盾や否定を乗り越え、欲望が常にどうにもならない緊張に晒されることのないモデル、が必要である。相反するものの共存は、多くの場合、私たちを正しい方向へ導く指標となる、と書かれていました。周りの誰かではなく、過去の自分、というのは他の本でもよく見た(前提や基準や何もかもが他人は違うものであり、比べても無意味。嫌われない勇気とか多くの自己啓発本で読んだ気がする)けど、未来の、今ないものをモデルにするというのは新しく、新鮮でした。確かに、今あるものをモデルにしていたら、一生新しいものって生まれないですものね。
二つの相入れない欲望、対立する思考を慎重に識別する時間を取らずに即座にどちらかを拒絶したりすることなく、同時に保持できるかどうかが、成熟の印である。
最も大切な欲望を追うことだ。それを見つけたら、それ以外の全ての些細な欲望を、大切な欲望の役に立つように変容させることだ。
ムルティビングの丸薬
ムルティビングの丸薬は、ポーランド人作家スタニワフ•イグナツイ•ヴィトキエヴィチによって1930年に発表された、非充足という風刺小説の中に出てきた薬です。アジアの軍隊に征服されたポーランドで、その征服軍の哲学者が新しい生活哲学を丸薬にしたもの。この薬は、新しい生活を簡単に受け入れられるようになるように欲望を操作します。 打ちひしがれた人々はそれを求めますが、しかし、薬は思考や欲望を根本的に変えるわけではないので、それを飲んだ人は精神が分裂し、発狂して自己の分裂に苦しむことになる、んだそうです。「人々の欲望は外部の力によって人工的に作られる。私たちはこの薬をいずれ、もしくはすでに手にしているかもしれない」と本には書かれていました。すばらしい新世界でも、道徳や価値観、何を欲するのかというのが、あらかじめ資本主義に都合がいいように、赤子の頃にほぼ洗脳のような方法で仕込まれる、という描写がありました。
これに対して、じゃあ外から欲望を操作されないよう、自分の心に従おう!と簡単には言えないと思います、なぜなら、欲望は、無からは生まれず、必ずモデルが必要であるので。ここで大事なのは、モデルがあることを、自分が何をモデルにしているのかを自覚していくことなのかなと思います。
内在する欲望と、超越した欲望
内在する欲望は、 まるで遠心力のようなもので、意識していないと、内側の欲望でぐるぐる回って真似だけするサイクルの中で、ずっと彷徨うことになるもの。みんながそれに囚われ、逃げることができず、同じパターンにはまって同じものを欲しがる。例えば、ミシュランガイドの星を巡る、レストラン間の競争とか。ある人1人がリーダーの会社とか。この場合、モデルは中にしかおらず、システムの外にはいない。
一方、超越した欲望は、今ここにはない、超越したものを欲し、全く新しいものを見出しそのサイクルを抜け出す。例えば、シェフのセバスチャン•ブラスは、これまで追いかけていたミシュランの認定を、ある日拒否した。ミシュランの星というシステムから抜け出して、今は自分の思うようにレストランを経営し、ミシュランの星がないにも関わらず、とても繁盛している。また、キング牧師は、その時代の大半の人々の想像を超えた具体的な正義を追求した。
超越したリーダーは、経済をオープンなシステムとして見る。自分と他者のために価値を創造する、未だ手付かずの新しい方法を見つけ出すことは可能だ。そして、それらは異なるものである必要はない。一方、経済を内在的なシステムとしてみれば、それはゼロサム・ゲームとなる。人々は同じものを求めて競い合い、誰かの犠牲を前提に誰かが成功する。
ここの話は、この本に書かれていたことを思い出しました。(この本はとってもおすすめ)
お金というのは、ただ、文化などが人との間のやり取りを円滑にするために発達してきた手段であって、それ自体が価値をもつものではない。老後のために資金を貯めるというが 大きな視点で見たら、お金はただ動いてるだけ。そもそも、あらゆるものの原価はタダであり(なぜなら、地球から得た資源だから)得したとか、損したとかは存在しない。お金は、みんなが幸せになるために、互いに働いて助け合うときの、手段なのであって、お金を払うということは、誰かが働いてくれているということなのだ。お金を払っているから偉いのではない。お金の向こうの人の存在に気づくことが大事なのだと。
また、本では、濃い欲望を持ち、周りを動かす良いリーダーについて書かれていて、あまりリーダーシップには興味なかったのですが、この引用にはなるほどなーと唸らされました。
船を作りたいなら、大勢の男に木を集めさせたり、仕事をわけて命令する必要はない。その代わり、果てしなく広がる海を憧れるように説けばいい。(サン=テグジュペリ)
世の中を変える人は、中心になるのではなく、自分のしたいこと、超越した目標に向け、自分はみなと肩を並べて立つようにする、のだそうです。良いリーダーは障害にも競争相手にもならず、率いる人たちに共感を示し、互いの関係を超越するいいものに向かって道を示す。これまでの人生で出会ってきた、良い先生とかを思い浮かべると、確かにそんな人だったなあと思います。みんなに強制させたりとか、アイドルになるのではなく、自発的に動くように背中を押してくれる人なんですよね。
サイクルから抜け出すために、 欲望を設計/変容させる
私たちは、破滅的な欲望のサイクルの中にいる。これは、想像力を欠く、閉じたシステムである。例えば、Facebookでは一年生の国の相手である、身近な友人たちの輝かしい姿がシェアされるが、このツールは、ただ近況をシェアしているのではなく、自分の理想のアイデンティティを作り上げるツールである。美しく整えられた他人の人生が、絶え間なく、モデルとして流れている。Instagramでは、インフルエンサーが、自身の生き方を宣伝する。SNSが生まれたことによって、世界中の人々が一年生の国に足を踏み入れ、近所の人を横目でずっと見つめることになった。ビジネスは次元の低い流行の欲望を満たそうとし、それらが変わらないことで利益を得ている。
ここで、破滅的な欲望のサイクルの中にいることは、それ自体は致命的なことではなく、問題なのは、別のサイクルの存在を考えないことである。
今の社会が退廃して停滞しているのは、希望が欠けているからだ。希望とは何かを欲することで、その何かは、
•未来にあり
•良いもので
•達成が難しく
•実現可能なもの
である。四つめは特に大事で、欲望を満たすのが可能だと確信できなければ、希望はなく、欲望もなく、展望をもてなければ、人は堕落する。
この、欲するに値する希望、欲望を見出すために、二つの方法があると、本には書かれていました。それが、欲望を設計することと、変容させること、です。
欲望を設計するというのは、欲しがってもらいたいものを、人々が欲しいと思うように計画することです。極端な例として書かれていて、なるほどなと思ったのは、独裁政権。独裁政権の勝利は、人々の行動を決める権限を持ったときではなく、欲望を極める権限を持ったときである。すなわち、囚人を監獄に置いておくことではなく、囚人が監獄を好きだと思えたとき。変化を求める欲望がなくなったとき、権力は完成するのだ、と。今の世の中は、資本主義がうまく回るように、新商品を欲しがるようになっていると思います。(別に私は、我々は資本主義に洗脳されている!とか言いたいわけではないです。そうなるよう、仕組みが作られて、欲望が設計されてきたよね、っていう)
計算思考と瞑想思考
本の中では、欲望の設計と、欲望の変容に対応する、計算思考と瞑想思考という二つの考え方について、述べられていました。計算思考とは、目的を達成するために、繰り返し調査し、探究し、計画する。技術文化が発達し、人間が機会を真似た結果だと書かれていました。エンジニアリング的な考え方も反映していて、計算思考をするリーダーは、欲望を予測するアルゴリズムをつくり、欲望をある方向へ押しやるアプリをつくる。エンジニアリングは有用だが、エンジニアリングの対象になるものもあれば、ならないもの(人間性)もあり、共感性の喪失につながると。そもそもの目的が価値あるものかどうかはあまり分析されない。
一方、瞑想思考は、単純にゆっくりした、非生産的な思考で、反動的なものではない。経験してもすぐに解決策を探そうとしたりせず、背景には何があるのか、といったように、一点に集中するのではなく、さまざまなところに目を向け、それに浸る。
計算思考は、新しい経験を既存の精神モデルに当てはめることしかできないが、瞑想思考は、新しいモデルをつくる。計算思考しか行わなければ、新しい体験を全て今ある箱に入れて生きていくことになる、と。
もちろん計算思考が役に立つ場面はある。株式市場で行動を起こそうとする時とか。でも、計算思考は言うなれば、模倣の形式をとった思考であり、瞑想思考は、濃い欲望を見つけようとするときに役立つ。
ここからは私の解釈ですが、つまり、計算思考は、ある材料をもとに、"予測する"考え方で、その結果、ある程度精度の良い答えが見つかることが多い一方、瞑想思考は、明確な筋道はなく、効率よく情報の選別とかしないで、この世にあるものを全て受け入れ、それを"味わう"考え方で、その結果何かが見つかることもあればないこともある、なのかなと思いました。計算思考は材料を元に予測するから、効率はいいし、発展に直結する。でも、必ずその広がりは有限であり、素っ頓狂なものは得られない。瞑想思考は、予測をしないから、とても効率が悪いし、すぐには答えが得られない、もしかしたらずっと見つからないかもしれない、でも、全くの新しいものを見つけることができる。確かに最近は、AIによる高精度な予測によって、自分の傾向から商品をおすすめされたりだとか、タイパやコスパ、倍速視聴の文化など、効率を求めるものが多くあるように思います。本には、ビッグデータは起業家精神が死に絶える場所とあって、傾向やその場にある材料から予測するわけだから、全く新しいものは生まれないですよね。マルコフ過程じゃないわけなので..また、最近、ディズニーや映画などは事前予約することが当たり前で、ふらっといって楽しむことができなくなったという話題もありました。お芝居とかも、中身がわからない新作ものは売れない。アニメやゲームも完全新作ではなく続編など、一定の利益が見込めるものが多い気がする。商品を作る側も、消費する側も、失敗したくない、効率よく確実に楽しめるものを欲している。これは、計算思考と、模倣の欲望が加速した結果なんだろうなと思いました。私は前から、知らないものとの出会いを大切にし、積極的に受け入れようと努力していますが、これはちょっと瞑想思考ってほどでもないですが、結果的にちょっとは模倣に対抗する手段になってたのかなと思いました。例えば、些細ですが、amazonのおすすめ本とかではなく、本屋に出向いて興味のある棚もない棚も眺めてみて、思いつきで買う、とか...本に書いてあった瞑想思考は、飲みものを持って一時間木を眺めるって書いてあって、それはちょっとハードル高いなと思いました(そう思うこと自体が現代の速度の速さを表している気もする)笑 でもたまに、旅行に行って、いつもの時間の流れ、情報の流れから断ち切られた状態で、その場所を味わっている時間とかは、瞑想思考に近い気がします。
大事なのは、二つあることを理解し、今どっちなのか自覚して、きりかえられるようになることかなと思いました。計算思考が悪ってわけではなくて、計算思考ができる、得意な人がいるおかげでここまで人間発展したし、生き残ってきたんだと思うんです。でも、たまにぶっ飛んだことする人がいるから出会いやイノベーションが生まれるんだよなーと。初めてナマコを食べた人とかね...
また、関連する話で、他人の空想、文学作品を読むことの話も書かれていました。自分の想像の世界は自分の知っていることしかソースがない。人の欲望は、接したモデルと同じ大きさにしかならない。欲望に関して、私たちは、盲目であるかのように、自分よりもよく見えていると思う人を見て、見る価値、追いかける価値があるものを学ぼうとする。だから、他者の欲望の世界に入り込むことが大切で、例えば文学作品には、現実世界の、自分が知っているモデルにはない、濃い欲望のモデルとなりうるキャラクターがいるかもしれない。文学作品は、想像力をはたらかせる。現代の教育は、リベラルアーツから離れ、計算思考的な、技術的、専門的な知識の習得に移行してきており、これが将来の欲望の形成にどのような影響を及ぼすのか、考えるべきかもしれない、と書かれていました。この本は多分、ビジネス書とか読む人をメインターゲット層にしている気がしていて、だから多分計算思考を是とする価値観が強い人が多いから、こうやって強く書かれているのかなと思いました。ビジネス書って、多分計算思考の話がかなり多いと思うんですよね。だからこの本もそうなるのかと思っていたら、こうやって書かれていたので、意外でした。私は空想の世界が大好きなので、必要って書かれててちょっと嬉しかった。笑直接的に役に立つものしか意味がない、とする傾向は確かに最近強くある気がしています。教育の段階でそれをやってしまうと、無駄なことを一切やらなくなる世代が誕生して、ファジーさみたいなのが失われて、何にも面白味のない、発展性のない、余裕のない、余地を与えない、機械のような社会になっていってしまうのではないかなーとぼんやり思います。私はコスパ思考とかが苦手で、なるべく無駄を愛するようにしていますが、でも全員が無秩序にわちゃわちゃしてたらこんなに便利な社会にはなってなかったとも思うんですよね。だから、無責任に計算思考を否定して、そこから作られる社会を嫌がったとしても、今更、この便利さを捨てるのは、難しいとも思います。もし計算思考による機械化を嫌うのなら、それを捨てることによって不便になることも受け入れなければならない。まあ、便利なことが価値を持つという価値観自体が現代のものなので、また変わっていくかもしれませんが..
瞑想思考と計算思考が、互いが互いに、補い合って、バランスをとっていけたらいいんですけどね。
決断の由来
へーと思ったのが、decisionの由来。この語源は、ラテン語の切るを意味する、caedereからきているそう。日本語でも断ってる!と思って、驚きました。
私たちは選択する
私たちは、欲しがるものを選ぶことができる。だから、何を欲するのかを考えるべきなのだ。将来私たちが欲しがるものは、今日の選択に左右される。眠りにつくまでに、あなたはじぶんのため、そして誰かのために、明日何かを欲しがる時のハードルを少しだけ高く、あるいは低くしている。
"夜と霧"でも、"人間は選択する生き物だ"と書かれていました。サピエンス全史でも、将来どうなりたいのか(それは自分だけでなく、世界が)を考え、それを考えて選択すべきなのだと書かれていました。自分の選択は、もちろん自分にも、そして友達にも、微々たるものながら世界にも、影響を与えている。どこに向かいたいのか?もちろん、イレギュラーは日々起こるもので、目標を達成できなければ意味がないという思考はよくないとは思います。ですが、何か芯を持ち、選んでいかなければなと思いました。信頼は伝播する...ポジティブな一歩を、踏み出す勇気を持ちたいと思いました。
破滅的な欲望のサイクルは、自分の欲望の絶対的な優位性を確信した時に動き出す。それを満たすためなら、他の欲望を犠牲にするのをいとわない。しかし、欲望のポジティブなサイクルの中では、人は自分の欲望と同じように、他人の欲望にも敬意を払う。さらに、他の人が最も大切な欲望を達成できるように積極的に協力する。ポジティブなサイクルにおいては、みんなが周りの人の欲望を実現しようと、なんらかの形で手助けする。
私たちは出会う人全員に、他人が次の三つのどれかになるように働きかけることができる。もっと欲しがる、欲望を減らす、別のものを欲する。模倣の欲望を意識して生きることには責任が伴う。競争を減らし、日々細やかな形でポジティブな欲望のモデルになる責任である。
翻訳
なんか固かったです...内容が難しいのもあるけど、ちょっと読みづらかったかな〜 なんというか、語順が。
模倣の欲望に対処するコツ
自分用に。
1.モデルをはっきりさせる
なんであれ、はっきりすれば、制御できるようになる。モデルがあることを自覚することですね。
2.模倣に逆らう知恵の源を探す
本当の知識の源を探す。周りが囃し立てたり、自称専門家に振り回されない。
3.不健全なモデルとの教会を作る
自分に不健全な影響をもたらすモデルと距離を置く。
4.イノベーションを起こすためにイミテーションを利用する
イミテーション(真似)は決してイノベーションの妨げにはならない。真似の価値を低く見ると、差別化しか価値がなくなる。
5.欲望のポジティブなはずみ車を回す
自分の欲望と行動プロセスを図式化し、ポジティブなサイクルを回す。
6.価値のヒエラルキーをはっきりさせて伝えよう
価値を言語化し、順位をつける。それを守る。そこがはっきりしてないと、模倣に引っ張られる。
7.反模倣的な方法で判断する
皆がしているから、という理由で、判断能力は簡単に落ちる。みんなが石を投げていたら、石を投げやすくなる。本当に近い考えを求めるなら、他人の意見は聞かない方がいい。
8.あなたの世界に欲望のシステムの地図を作る
どの業界、学校、家庭にも、あるものを欲しい、欲しくないと思わせる欲望のシステムがある。(個人的には、これは、何が良くて何が悪いのかを決めるという意味での宗教と近いと思います)どんなシステムがあるのかを知る。そして、システムに影響されず、本当に必要なものを欲しがらなければならない。例えば、コロナ禍に対抗するための医療的な物資はなぜ、以前にもパンデミックがあったにも関わらず、深刻なレベルで不足したのか、それは、皆が欲しがらなかったからだと、書かれていました。
9.欲望を検証する
欲望を額面通りに受け取らず、それによって将来どうなるのかを考えてみる。決断するとき、自分が死の淵にいたら、同じような決断をするだろうか?死の床は虚しい欲望が明らかになる場所だ。
10.深い充足感を得た行動を語る
心から満足したことを、語り、聞き、記録し、共感することで、濃い欲望を発見する。
11.真実のスピードを上げる
真実の追求を受け入れ、真実を情熱を持って追いかける。真実は模倣的な価値ではなく、客観的な価値を持つ。自己保身のために真実を曲げない。
12.深い沈黙に投資する
リトリートという、音楽とか喧騒とかそういうのから一切切り離されたところで三日くらい過ごすやつがあるそうです。自分が何を欲しているのか、周りからの影響を排して考えられるとか。
13.相反するものの共存を探る
自分が、共存はありえないと思う、相反するものが共存しているとき、それは超えた何かをしめしている。共存はあり得ないと思うのは、それが自分の意味づけの地図や精神モデルに存在しないから。理解できないものは、むしろ新しい世界を知るチャンスなのである。今自分がいる場所を超えた何かを指し示している。
14.瞑想思考の練習
目標を持たないことを覚える。1時間木を眺めて、気づくことすべてに注目しよう。
15.他の人の欲望に責任をもつつもりで生きよう
私たちは他人の欲望を、どちらかの方向にそっと押している。競争を減らし、日々ささやかな形でポジディブな欲望のモデルになる。
MCODEを受けました
本に書いてあった、MCODEを、大金叩いて受けてみました!
MCODEとは
MはMotivationのMを表していて、動機をいくつか(私が受けた時は32個でした。都度見直しされているようです)のキーワードに分け、自分にとってその中のどれが占める割合が多いのかを、質問に答えることで明らかにするものです。自己分析ツールですね。
動機のキーワードは、例えば
•理解する
•探求する
•卓越する
•開発する
•ニーズを満たす
などといった感じです。
受け方
motivationcode.comここのサイトで会員登録して、お金を払って、質問に答えると、レポートが生成されます。ここで、質問に答える前に、用意しておかないといけないものがありまして、それは、「自分が満たされたな、よくやったな」と思った時のエピソードです。公式サイトにはこう書かれています。
Everything MCode reveals about you is based on your stories. You’ll start by sharing stories of a few of the most important, meaningful, and satisfying achievements from any part of your life, and we’ll even help you choose the stories you share.
行動的であり(受動的に経験したものではなく)、自分でうまくやったと思っていて(誰かではなく自分で評価してうまくやったと思っていること)、充足感がある(束の間のものではなく、翌朝、今になっても充足感を感じられるもの)話。これを4つ用意して、そのそれぞれについて、例えば"その時一番重要だったのはなんですか?" 1.他人と協力すること 2.計画通りにいくこと 3.自分の理想を実現すること...といふうに、質問に答えていく感じです。エピソードを記入してから質問が開始しますが、質問は英語なものの、エピソードは別に自分のメモにしかならないので、日本語で書いて大丈夫です。
結果
円安で辛いけどせっかくだから高いプランにしました。私の上位5位はこんな感じでした。
1. Experience The Ideal
2.Realize The Vision
3.Design
4.Comprehend And Express
5.Finish
趣味では、こんなのあったらいいな〜に対してじゃあ作るか!っていうのが好きだったり、興味のある物事について理解し、まとめるのが好き(まさにこのブログ)なので、納得がいきました。私はそれなりに新しいことに興味をもってとりくむことに抵抗がないタイプだと思っているのですが、でもちょっと意識しないといつも通りに戻ってきてしまったりして、これはexploreが上位に入るけどめっちゃ上じゃないからなんだろうなと思ったりとか。あと意外だったのは、Finishが5位にきたこと。あんまり終わらせることが楽しいって自覚したことはなかったのですが、どちらかというと、終わりのない行為が苦手なんだなと気づきました。例えば、ゲームのタイムアタックって、極めようと思えばいくらでも極められますが、そういうのを極めるのには全然興味が湧かない。でも、ちょっと厳し目の難易度で、ステージをクリアするみたいな楽しみ方は結構楽しめたりとか。仕事でも、目標が明確じゃなくて、手探り状態な時は、いろんなことを試すことはいいんですけど、終わりがないのが辛いなと感じることが多かったり。ぬいぐるみをメチャクチャ作ってみたいと思っているのですが、なかなかやる気が出なくて、でもお絵描きとかはそれなりに気軽にできるのですが、これは場数の違いもありますが、ぬいぐるみは完成までの道のりが長いからなんだろうなと思いました。モチベプラスのモチベになるというよりは、これがないとモチベが下がる、というタイプのあらわれかたをしてるんじゃないかなと思ってます。これは自覚してなかったので、発見で、だからたとえばぬいぐるみ作りだったら、全部終わって完成したと思うのではなく、パーツ作るごととか、過程ごとに、完成した!!と思うことで、モチベ低下を防げそうだなーとか思いました。(小さい目標達成経験を積むのがモチベに大事なのは広く言われていることなんですけれども)
上位5位だけでなく、全てのキーワードでランクづけしてくれるので、同率のものもあったりして面白かったです。また、高い方ではなく、低い方を見ることでも得られる物がありそうだと思いました。ちなみに最下位はmake the team。improveも低かった。会社向いてねえーー!!meet needs とかも低いし....
これをやると、何にモチベを感じているのかがわかって、自分がモチベが湧くことに、より正確に辿り着けるようになるし、たとえばモチベが沸かない時は、見方を変えて自分がモチベとするものに置き換えてしまうとか、そういうこともできそうだなと思いました。
あと、このようなdimensionというのも出してくれます。

dimensionは、上記の32個のモチベを、いくつかのグループ(dimension)に分けたもので(複数のグループに存在するモチベーションとかもあります)に分けたものです。わたしは、Visionary,Learner,Achiverが高いようです。こんなアイコンもくれた。



それぞれの強みと弱みについても教えてくれます。visionary+Achiverなので、よく理想を追い求めすぎて実現できねえやってなってやる気無くすことあるなーとか、うまく行かない時の理由がこれらの弱みによるものなんだなと分かって、自分への解像度が上がりました。
自己分析ツールとしては、MBTIが最近流行ってますね。あれで分かるのは、物事の捉え方や判断の仕方で、こっちは自分が何をガソリンにしているか、なので、部分的にかぶるし違うところもあるなという印象でした。私はINFPですが、たぶん、MBTIで2文字目がSの人は、現実的なことの方が知覚しやすいので、 visionaryとかじゃなくてoptimizerとかだろうし、establishとかImproveとかがモチベになりやすそうだなとか。こっちはより具体的なので、実生活にも生かしやすそうだなと思いました。
ちなみに、こちらのはてブロで書かれていた記事を、この本を読み終わった後に発見し、受ける際に勝手に参考にさせていただきました。ありがとうございます!結果が違って面白いですね。比較とかしてみたいな。
https://tmkk.hatenablog.com/entry/2023/06/14/083244
MBTIを受けたときもそうでしたが、自己理解だけでなく、他者理解にもつながると思いました。自分では全くモチベーションにならないものを強いモチベーションとしている人もいるわけで。もちろん、日々の生活や他者との関わりの中でそれを実感することは多々ありますが、こうやって明文化してくれると、より、上で書いた「
共感」がしやすくなるなーと思いました。
まとめ
全体的に、起業家向けのビジネス本、という雰囲気はありましたが、模倣の欲望について詳しく知ることができ、自分の行動のモチベが、少しクリアになり、よかったです。私はキャリアに悩んでいるのですが、この本で得たものを踏まえて、少しは前進したいなあ。行動に移したい。また、人には幸せに生きて欲しいので、ポジティブなはずみ車を回すきっかけになるような行動を取りたいなと思いました。
最後に、個人的に印象的だったところ。
私には、現代の個人主義は、私たちが模倣の欲望を通じて、愛しているふりをしながら実は嫌悪している相手に、自分の意思を押し付けようとしている事実を必死に否定している形になってきているように思える。
真の意味での共感をするようにしたいですね。

