感想置き場

いろいろと感想を残します

渚にて(ネヴィル・ロングシュート)を読みました

渚にて(On The Beach)を読みました。なかなかにあとに引きずる読後感だったので備忘録も兼ねて感想。

◆きっかけ

SFおすすめ本で紹介されていたか、もしくはFF14FATEの名前になっていたかで知り、有名終末ものということで、私は人類の破滅を見るのが好きなので、面白そう~と思って手に取りました。

◆この本について

1957年に発表された、イギリスの作家ネヴィル・ロングシュートによって書かれた終末もの小説です。第二次世界大戦直後のイギリスのSF作家の間では、こういう終末ものが大流行したそうです。

◆感想

•淡々と進む物語

じわじわと死が迫ってくるのが印象的でした。特にあまり大きな起伏のない展開が初めから終わりまでずっと続くので、中盤くらい、シアトルの無線の正体を探る前までは正直すこし退屈だなと感じていました。たまに迫り来る放射線に対する不安は見え隠れするけど、そんなにそこにフィーチャーされることもなく、話の内容的にはただの日常だったので。でも、後半は、その展開の起伏のなさが、”現状に対して解決の見込みは何もなく、日常がただ続き、迫り来る死に何もすることはできない”という焦燥感と寂寥感が入り混じった、真綿で首を絞められるような感覚をより強く実感する効果を生み出しているように感じました。劇的な、ドラマチックな展開がなく淡々と語られていることが、より現実的に生々しく感じさせているのだと思います。この本は、もちろん人類がただ終わりゆくのを期待して読みはじめたので、その目的はとてもよく達せられたましたが、予想していた以上に心にきて、重くのしかかりました。多分、生々しかったから、普段私がフィクションと関わるときの心の切り替えがあまりできてなくて、ダイレクトにきたんだと思いますね。あと、登場人物が極端に自暴自棄になっていないのもまたリアルに感じさせられたポイントだと思いました。また、シアトルからの無線が、特に奇跡など起きず、ただの偶然でしたというのには、物語の展開的には全然劇的でなく、こんな大きな謎なのに拍子抜け、と感じる人もいるかもしれませんが、わたしはこの事実が、より一層、作中の状況に対する、人類の無力さ、無力感を強く感じさせられる一因となっているなと思いました。そうだよね、そんな奇跡なんて起きるはずないよね、もう、期待できることは何もない。という諦めの感情が強く感じられ、そのあたりから、もう終わるしかないんだというのがだんだんと実感させられていった気がします。振り返って思いましたが、、この事実を知るまでは、わたしもある種作中の人物と同じで、根拠のない、”自分(が読んでいるこの人々)だけは、生きられるんじゃないか””なにか、が起きて、ちょっとでも良くなるんじゃないか”という希望を、無意識のうちに抱いていたのかもしれないと思いました。この辺りから、読んでいて、だんだんと息苦しくなってきたように思います。何も奇跡など起きないことを理解し、そして無線で連絡が取れなくなってくる地域が出始めて、人々にできることはなにもなく、どうすることもできずただ迫り来る死を座して待つのみだということが、ようやく身に染みて実際に理解されたからだと思います。身内が死んだ時も時間が経ってから実感し始めたことを思い出しました。この作品では、ブリスベンで被害の報告があった、とか、そういうショッキングな事実を本当に勿体ぶらずドラマチックにもならず淡々と出してくるので、読んでて”あ….”って心が突き放される瞬間が多かったですね。

•迫り来る終わりに対する人々の態度

読み始めは、終わりが近づいているにも関わらず、意外とみんな嘆いたり頭がおかしくなったりしないで普通に過ごしてるんだな(もっと人類が嘆き狂うのを期待してた)と思ったのですが、作中でも言われてますけど、おそらく正常性バイアスみたいのが働いて、自分だけは何とかなると無意識に感じたり、現実感を感じられなかったりすることによって、案外落ち着いてしまうのが、リアルな反応なんだろうなと思いました。実際コロナの時も、身近で罹る人が出るまで、そんな感じだったし、あと、毛色違うけどTwitterとかでも、終わる終わる言われてるけど案外逃げようとしないし結局出戻りするみたいなところも、作中の、そろそろ放射性物質が来ると言われているところに住む人たちは案外逃げてこず、その土地で終わりを迎えるってのとちょっと通ずるかもなと感じたりしました。

また、もう未来は来ないのに、その現実を無視してその話をするシーンがそれなりにありますが、メアリのそれは特にきつかったです。もう夏は来ないのに、花を買って植えて、夏になったらたくさん咲くでしょうね、きっと綺麗よ、心の底から言うのが…いたたまれない。タワーズの家族に対するそれもなかなか辛かったです。モイラと息子の話になって、ヨットはまだやらせないの?という質問に、当たり前のように、次に帰れるのは9月になるだろう、故郷の海でヨットをやるにはいささか遅すぎるかもしれない、と答えたタワーズは、それに対して自分で「きっと私の頭がどうかしてると思ってるんだろうな」「でも、今行った通りのことを思ってるだけだ。他にはどう考えてみようもないんだ。とにかくそのおかげで、家族のことで嘆き悲しまずに住んでいるのは確かだ」と話すのですが…メアリも実はそうかもしれませんが、タワーズの方はもっと明確に、今考えてみる未来のことは現実には決してならないと自覚しているにも関わらず、それと同時に自然に未来のことについて当たり前のように存在しているかのように考えて話すというこの行動は、心の防衛機構なんだろうなと思いました。夜と霧を読んだとき、いつ終わりが来るかわからない地獄のような環境のなかで、仲間との会話の中でちょっとした救いになったのは、未来の話だったと書いてあったのを思い出しました。例えば、収容所で配布されるスープは本当に薄くて、具がほぼないのですが、釜の底の方に多少豆が残っているため、配給係を買収して"底の方から"スープをよそってくれるように頼むということがあったらしいのですが、これについて、仲間内で、「将来収容所から出て普通に過ごすようになっても、スープを食べる時、必要ないのについつい"底の方から"掬ってしまいそうだ」ということを話して笑い話とするシーンがあります。この本の場合はもしかしたら出れるかもしれないが、それがいつになるかわからないという状況なのでこの本とは少し違いますけれど、耐え難い現実に対して、現実ではないことを理解しつつも未来について考えるという行動は救い・逃避の手段なんだなと思いました。

また、無線のあたりの展開でのスウェインの行動には、複雑な気持ちを抱きました。同情と、よかったなぁ、という気持ちと…

•語りの視点

この作品には神の視点がなくて、必ず誰かの目を通さないとその場所について知れないようになっています。例えば北半球の遠くの地でたくさん人が死んでいるはずだけど、もう放射性物質のせいで実際にはその状況を目にすることは作中の人類には不可能なので、初めから終わりまでそれは(ほとんど)直接描写されることはなく、知れるのは潜水艦の望遠鏡から見た一見何も被害のない街並みだけだし、近くの街で症状が出た、と言うのも、作中人物がそれをラジオを通して聞こえる音声でしか知るシーンがありません。これらが、作中の状況を生々しく感じられるようになっている一因な気がしています。人間の視点を逸脱しない、俯瞰した視点がないので、起きている出来事を、人の目を通して知る範囲でしか知れないようになっていて、自分ごとのように感じられるというか。

•モイラとタワーズ

モイラは初めなんだこの酒カス!!って思って読んでいたけど、最後の方は、いいやつというか、君のいいところを知れてよかったよ、って感じになりました。特にホッピングタワーズにプレゼントするシーンは…もう死んでいる娘にプレゼントを買うタワーズにも、それを、おそらく心の底からは一緒の気持ちになれていない(モイラはすごく現実的なので、そういう”ない未来”にたいして心の底から浸ることはないタイプだと思う)にもかかわらず、タワーズを思いやって、探し回って頑張って新品を送ってあげたモイラにも、そしてそれを聞いてくれたホッピング屋の人にも、なんだかたまらない気持ちになりました。名前まで入れてもらって…あとモイラの家の倉庫にあるおもちゃを見て、タワーズがモイラの子供時代を想像して楽しむシーンがなんだか良かったです。

•生きること

最終章で、作中人物たちが終わりを迎えていくのがすごく寂しかったです。また、どの人も、自然死(ではないけど)ではなく、自決してたのが意外でした。とくにホームズは自分だけ体調が良かったから、てっきり抜け駆けでもするのかなと思ってました笑オズボーンはわんちゃんをお母さんの横においてあげたの優しかったですね。みな、自暴自棄になるのでもなく、熱くキスしたりするのでもなく、ただ普通に過ごすように努め、それも段々とままならなくなっていく姿が、苦しかったです。
最後のあたり、タイトルの意味結局何だ?と思いながら読み進めていたので、最後の最後で回収されてオアァ….となりました。まさかモイラが最後を飾るとは…。最初酒カスだったところからのギャップもあって、妙な愛着というか思い入れを感じてしまいました。最後、ページをめくって何も書かれてなかったとき、蝋燭の炎が消えるように、命が終わるのを感じ、うちのめされました。

人はみな遅かれ早かれいずれは死ななければならないが、心の準備をしてその時を迎えるというわけには決して行かない。これに対して現状は、およそいつ頃その時が来るかわかっていて、しかもその運命をどうすることもできない。そういう状況を、私はある意味で気に入っている、とタワーズが言うシーンがあります。この発言は、どうすることもできない現状を前向きに受け入れるしかないためにそう考えるしかない、と捉えることもできると思いますが、私は結構確かにそうだなあと感じました。「生きる」ことについて、様々な迷いが人生にはありますが、このときに限っては、不要な迷いを一切気にしないで、真正面から「生きる」ことに向き合い、過ごせるのかなと。なので、今現在私は作中のような、外部から死の時期を定められている状況ではない、恵まれた状況なので、これを当たり前と思わず、僥倖なんだと思い、作中の人々が生きられなかった未来を、生きることに向き合って、無駄にせず生きたいなあと感じました。終末ものを読むと日々の尊さを実感しますね。

また、メアリは、花が咲いているのを時期的にもう見られるか分からないにも関わらず庭に植えようとするのですが、これについて、「…やりはじめたことをやめちゃうのはいやなのーーなにもやらずにすごすのはね。そんなんだったら、それこそ死んじゃって終わりにしたほうがいいくらい」と話します。一見すると、もう終わりなのに無意味なことを、と感じてしまうかもしれないし、実際序盤のモイラは庭の話をするホームズメアリ夫妻に対して、頭がどうかしちゃったんじゃないのというシーンがあります。でも、"いつか終わりがくるなら、それまでに何をしても意味がない"のなら、普通の、普段のわたしたちの人生についても全く同じことが言えてしまうんですよね。私達のそれは時期が決まってないし、(おそらく)遠いだけで、作中の人物と同じようにいつか死にます。だから、「今」に意味を見出すしかないんだと思いますね。モイラはきっとそれを作中で理解したから、序盤ではメアリのような行動を否定していましたが、後半ではもう仕事なんてないのに、タイピングの資格勉強を頑張ったんじゃないかなと思いあます。タワーズの服の穴を繕ってあげたのにもそれを感じます。どうせ終わるしまた破けるかもしれないから縫ったって意味ない、のではないのだ、という。

最後の週末に、モイラとタワーズが釣りをし、その別れ際に、「ほんとに楽しかったわ、今日一日。どうしてこんなに楽しいのかわからないぐらいにーただ魚が釣れたからというだけじゃないみたい。ジョンもこんなふうに感じたんじゃないかというようなーーまるでなにかに勝利したような気分よ。でも、それがなんなのかはわからないの」「そんなこと分析しなくていいさ。ただうれしいってだけでいいじゃないか。…」というシーンがあるのですが、ここが個人的にはかなり心に残りました。"まるでなにかに勝利したような"という表現が、すごくよく分かるというか…なんでしょうね、お前はもう死ぬ、終わりだ、何もかも無意味だ、という事実に対して、私は「今」を全力で楽しみ、ただ嬉しいという気持ちを味わい、時を過ごした。それはなくなるし終わるけど、その「今」は確実に存在してるし、存在していたし、私にとっては無意味なんかじゃなかった、みたいな…

•そのほか

感情方面とは別の感想として、舞台がオーストラリアなのが、結構珍しく感じました。加えて”南半球”であることをこんなにも強く意識させられる物語は初めてだったので、同じ地球でも南と北で結構違うんだなーと改めて実感させられました。こっちの冬があっちでは夏だし、マリンスポーツがありえないくらい身近なんだよな~。そういう、生活の違いはとても興味深く読みました。タワーズがモイラの家に初めて行った時、木々をみて、北半球産の木々がたくさんあるために故郷を思い出して嬉しそうにするシーンがあるのですが、植生って、普段全く意識しないけど、想像したらたしかに故郷に生えていた植物が知らない土地に生えていたら、かなり安心しそうだなと思って、心にある"ふるさと"という概念は、いろんなもので構成されているんだな~と思いました。

他にも、潜水艦がメインで出てくるのも私にとっては初めてだったので、こんな世界なんだなぁと知れて面白かったです。閉鎖空間って本当に精神に来るんだなあ。人工太陽があるのにSFみを感じる。潜水艦なので移動に際し島や海の名前がたくさん出てきて、これらについても普段身近ではないので都度調べてイメージしながら読み進められて楽しかったです。

あとCSIROが人類の歴史をガラスに刻んで残そうとしているという話は、三体の「石に字を書く」を思い出しました。

◆まとめ

“真綿で首を絞められる感じ””諦め””無力感”を、特に後半から強く感じる物語でした。この粘りつくような、それでいて突き放されたような、途方に暮れたような読後感、最高に好きだけど、今感じているまさにこの今はやはり辛いです!!笑また、いい意味で昔っぽさを感じ、書かれた当時の世界の価値観や雰囲気を味わえた気がします。