感想置き場

いろいろと感想を残します

ホモ・デウス(ユヴァル・ノア・ハラリ)を読みました

 

本について

イスラエル歴史学者であるユヴァル•ノア•ハラリによって書かれた、人類の未来について論じた本です。原語のヘブライ語版はなんと2015年発売、と今調べて知りました。恐ろしい...読んでる間、まったくそんなふうに感じませんでした。

きっかけ

そもそもはサピエンス全史を読んで、その続きで読みました。初めから勢いで4冊買って、読むかなー読み切れるかなーと思ってましたが、サピエンス全史がすごく興味深かったので、難なく読み切ることができました。サピエンス全史を読んだ時に覚えた衝撃を果たして超えられるのかと思いながら読み始めましたが杞憂でしたね。正しく続編という感じで、サピエンス全史に出てきた虚構の考え方とかが引き続き出てきて、四冊続けて読んでよかったと思います。

感想

読む前は、最近AIとか怖いよなー働く意味とかなくなるのかなー生きる意味とかなんなんだろう、まあ自分で決めるしかないけど...位の考えでした。読んだ後は雑にまとめるなら、現在の私を形作っている価値観に対する信頼が消失し、未来に対して具体的な恐れを抱きました。以下、項目ごとに書き散らし。

・歴史の流れや、人類の生み出す虚構(価値観や宗教やイデオロギーなど)の変遷について

医療は、病人を助けるものから健康的な人をアップグレードする手段になりつつある。そしてその行き着く先は不死である。不死を目指しているなんてとんでもないとおそらく医師は言うが、現在はそうかもしれないけど、それを延長していくと結局は不死につながるよね。という理論はなるほどなと思いました。結局、どこに向かってるのかを自覚して動いている人、動ける人ってほとんどいないんだなとも感じました。結局最終的に何をしたいのか、を考えて自覚して動かないと、その場に反応して動いてるだけになってしまうなと。

歴史の流れも実際そうで、これまでの歴史は、人類全体が意思を持ってどこか、、例えば善い世界、に向かって努力してきた結果、ではなく、その都度その都度都合がよかったからそうなっただけっていうケースが思った以上に多くて、がっかりしました...うーん、がっかりというよりかは、過去を振り返る時、歴史を考える時に、昔よりも良くなってる、成長に向かって人類頑張ってきた、ってとらえるのは、人類の意思を過大評価しすぎだった、歴史を見る時に特定の価値観で評価したり捉えたりしてしまっていた=虚構に囚われているんだなということがわかった、という方が正確かも。色んな価値観(虚構)が、常識として自分に染みついていて、疑いの余地もないくらい浸透しているということがよくわかりました。

例えば自由や人権を尊重する考え方は、すごくよく聞こえるし、革新的で、素晴らしい価値観を生み出したように聞こえるけど、自由や人権というのはそもそも人類が作り出した概念であり、別に現実世界に物理的に存在するわけではない。良いも悪いも人間が勝手に虚構の世界で自分たちの基準で決めて適用しているだけ。自由や人権というものは、資本主義や自由主義の経済にとって都合がいいので、実際は、道徳的理由(だけ)ではなく、経済的理由で守られているのだ、という話には驚きましたし、私は物事を捉える時にかなり道徳的視点に影響を受けているのだということが自覚されました。自由や人権について、経済の観点で考える発想すら、普通ないですよね。

加えて、人間は成長できる、そして成長することがいいことだ、という考え方も、近代になって生まれたものであり、それも一種の価値観であるという話はかなり驚きました。そもそも昔は成長できない、現状維持が当たり前(当時の技術的に)だったが、科学革命が起き、無知を知り、知らないことについて聖書に答えを求めるのではなく人類自身が追い求めるようになると、だんだんと成長を信じるようになった(そして人間至上主義が生まれた)、、という話で、成長することはいいこと(無理しない範囲で)というのはかなり私にとって疑いの余地のない価値観に分類されるものだったので、衝撃でした。なにを善とするのかということについて、一応人間の与える意味次第だよねという理解はしていたつもりでしたが、そもそもの、その”人間が意味をあたえる”という考え方の時点で、人間至上主義(人間が主語で、神で、その人が与えた意味が価値を持つ)なんだという視点が抜け落ちていたなと。

また他にも、共産主義や神様の考えが、興り、そして衰退して、今は資本主義や自由主義が台頭しているのは、それらが道徳的に優れていたからではなく、その時代のテクノロジーなどにあっていたからである、といったような例もあり、そちらも興味深かったです。人をまとめるのに都合がいい考え方や価値観やイデオロギーは、善い悪い(だけ)で更新されるのではなく、その時の社会にあった手段(農業が発明されたとか、科学が発明されたとか、テクノロジーが発達したとか)にかなり影響されるという観点は重要だと感じました。

そのため、今の時代はこのままいくと、アルゴリズムが神となるという推察には同意せざるを得ないなと感じました。これまでは神が中心であり、人の行為には神が意味を与えていて、人間自身の心の動きはあまり重要視されてこなかった(行動動機が聖書の記述に依っていた。他にも、芸術も、音楽は天啓みたいな感じで、作曲者に光が当たることはなく、聖歌を書いた人はただの神の代弁者扱いで作曲者自身の心情などなにも意味をなさなかった。語り継がれる物語や英雄譚は、英雄の心情の動きなどではなくどのような偉大なことを成し遂げたのかが語られた。)が、今は人があらゆるものに意味を与える主人となった。(自分のやりたいことをやろう。汝を知るのは汝自身なのだから、心の声に耳を傾けようという考えかた。音楽も曲を書いた人の心を反映していると言う考え方。物語も、英雄ではない普通の人のなんでもない心の動きとかでも価値があると考えられるようになった。)これは、神よりも経済の方が人類にとって重要になったからである。神を信じるより欲望のまま動く方が、自由経済がよく周り資本主義を回すのに都合が良かったから。そして今、さまざまなデータが集められ日々の決定などをアルゴリズムが決めるようになってきている。自分を最もよく知るのはアルゴリズムであり、自分のことを知りたければ自らの心に自問自答することではなく、Apple Watchがバイオリズムデータを集計した分析結果を見ることのほうが正しいという価値観が生まれてきている。なので、このままいくと、アルゴリズムが何もかもを決める基準となり神となる、というのは半ば達成されてきているし、それに対して自分が無自覚、さらにいうなら心の底からアルゴリズムは正しいと普通に信じているという事実に、かなり冷や汗をかきました。別に陰謀論とかではなく、本当に、「自分の信じているものが何なのかを自覚すること」は難しいんだなと実感した次第です。

ただ、人類史において、戦争は未だ存在するものの、冷戦の終結といったように、存在していても、人類自身の意思で、なすがままにならずそれを止めることができたという事実、歴史はチェーホフの銃(ストーリーで何かが登場する時は使われなければならない、必然性がなければならない)のルールには従わないこともできる。というのには、少し希望を感じました。加えて、予測することが予測を外すことにつながる、というのにも一縷の望みを抱きました。

ただ、資本主義はここまできたらもう止められない、走り続けるしかないというのには若干のやるせなさを感じましたね。まあ、資本主義経済のもたらした恩恵に預かっている立場で言えることじゃないんですけども、、、

・不死と非死

イモータル(絶対に死なない)とアモータル(事故で死のうと思えば死ねるけど寿命とか死なない)があって、アモータルになるとむしろ死をより恐れるようになるという考え方は盲点で興味深かったです。この場合むしろ危険を冒さなくなり(登山とかの危険な趣味とかね)もっと単調な過ごし方をするようになるという洞察にはなるほどなと。どう頑張っても絶対に死だけは訪れるからこそ、それが早いか遅いかの違いになると捉えて危険を冒す人も出てくるんだな〜。ただちょっと怖いなと思ったのは、将来は貧富の差によってアップグレードできる人とできない人が分かれてきて、生物学的な差すら貧富の差で生まれ、ついには死なない特権を部分的な人類が享受するようになり死が平等でなくなる恐れがあるという予測。それが来た場合もう貧富の差による対立はもうどう頑張っても埋められない溝になるだろうな。

・「幸せ」について

幸せとは何かという話はよくあるが、この本はそんな議論をやすやすと飛び越えたスケールで話が進むので、この話も少し触れられた後は些末な問題と成り果てるのですが、それでもすこし覚えておきたいことがあったので記録。

人間は進化の過程で、そもそも満足しない遺伝子が刻まれているのでどう頑張っても恒久的に満たされることはなく、不足を回避したいなら、幸せをずっと摂取し続けるか、波自体をなくすか(悟る)しかない。この話をちょうど読んでる時電車だったのですが、目の前に崩壊スターレイルの広告があって、ガチャキャラの宣伝がありました。そのキャラがカッコよかったのでちょっといいな、はじめてみようかなと思ったのですが、そのキャラを引けた時には満たされるけどどうせまた別のキャラを引きたくなるだろうし、それならむしろ最初から期待しないほうがそのサイクルに取り込まれずに済むなと思って思いとどまりました。まあ、そのキャラの顔めちゃ好みだったからファンアートとかは少し見ちゃうんですけど...でもこういうギャンブル商売って嫌な意味で理にかなってるんだなと思いました。本にあった、人間は失敗を正当化するために、過去の苦しみに意味がなかったと認めなくて済むように、将来も苦しみ続けることを好むし、最後には誤りに意味を持たせるという話は、ガチャ爆死しながら回し続ける人々(ここまで来たら出るまで引くしかない)を思い出しました。耳の痛い話です。

・虚構と、その持つ力について

著者がサピエンス全史から用いている理論である「虚構」について、より深く理解することができ、その強さを実感しました。

まず、私たちが信じている色んなことに対する価値観や認識は、多くが虚構である。そして、虚構の中でも、宗教やイデオロギーは、何かしらの価値観であり、それらは行動を強いるもの、つまり指針をくれるものである。一方で、科学は事実を見つけるだけで、価値とかは決めず、価値を決めるのは何かしらのイデオロギーや宗教である。だから、研究とかも、何かしらの宗教やイデオロギーがないと進む方向性が決められないので、仲良くする必要があるし、逆に言うと支援してくれる人たちの価値観で良いとされるものしか研究できない。というのには、宗教というものに対する認識と理解の曖昧さを自覚しました。そして日本人は無宗教とかいうけど、生きている上でなんの価値観も持たずに生きている人なんていないし、何か指針がないと人間何も動けず、結局は何かしらの価値観(人間至上主義や資本主義、個人主義自由主義イデオロギー。自分の意思に従うのがいいという考え方、価値観は人間至上主義という宗教=イデオロギーである)や協力ネットワーク(会社とか)の掲げるものを信じてそれに基づいて動いているので、キリスト教や資本主義や人間至上主義や会社の理念やらいろいろあるが、宗教ってだけでなんとなく盲目的だと感じるのは早計なんだなと思いました。信じてるものが違うだけで、全く根拠のない価値観を信じているという状態の点ではどれも同じなのだなと。

また、特に印象深かったのは、空想に現実が負ける、という話。まず例えば成績というのは最近の発明で、多くの人々を効率的に教育するための概念的な数値である。協力ネットワークは自らが生み出した基準で自らを評価するので、学校や会社などはそういう成績で人を評価する。そういう成績とか肩書きとか、人間の中にしか存在しない基準は虚構(共同主観的現実。多くの人が存在を信じているからなりたっているもの。お金もそう。信じてる人がいなくなると意味を失うもの)。そして、神々も企業も物語を持つ(神々も企業もブランドも実在しないがみんなに信じられている)。そういう物語は人をまとめる道具に過ぎないのに、それらのために自分の人生を犠牲にしてしまう人が多い。こうやって、現実が空想に負けることになる、という話でした。ただ、これは別に物語に縛られるのはよくないと言ってるわけではないと私は理解しました。縛らないと人間まとまらないからそうなってて、ただ、それを自覚して視野を広げフラットに物事を捉えるのが重要なのだと。縛られていることによる恩恵は絶対にあるはずで、そのおかげでまとまれているわけで、何でもかんでも反発して、それを頭ごなしに洗脳だとか言って思考停止して批判したりしないようにしたいと感じました。

・自由意志について

自由意志とはそもそも幻想である、というのが個人的にはこの本における最大の衝撃でした。まず自由意志というのは人類の一つの考え方、人類が生み出した虚構であり、そして生物学的な現在の事実だけを観察した場合、自由意志はないということが考えられるという事実は、上巻で語ってきた色んなことが、ひっくり返されたように感じました。

われわれには自由意志すらなく、経験する自己と物語る自己にわかれ、それらは分離しているという話は、ありとあらゆることについて何を信じればいいのかわからなくなり、色んなこと考えるとメタ思考がループするようになって一時期辛かったです。

この感想自体も経験はピークとエンドしかおぼえておらず、後から振り返ってその経験に意味を後付けして物語っているということになるんですよね。...若干虚しくなるけど、でもピークエンドの法則は実際に結構役立つというか覚えてて損ないと思いました。人間忘れるものだけど、マジで忘れてるとはね…

・やろうと思ったこと

色んなものを虚構に感じてしまい(特に自由意志がないってのと、自分を信じるのがいいという価値観は自明ではなくただの人間至上主義であるということ)かなり無力感に苛まれていますが、ただ、作者はこの本は予言書ではなく視野を広げるためのものだと書いています。また、予測をすることで予測を外すことはできる、とも書かれています。

上巻に書いてあった「歴史を学ぶのは、過去から解放されるため。私たちの価値観や思考や恐れまでもが歴史が形作ったものであり、そこから解放され未知の未来を切り開く」という話を胸に、ありとあらゆる虚構から解放された視点で現在の状況を捉え、理解し、どういうふうになりたいのか、進みたいのか、向かいたいのかを定義して、それに向かって取り組みたいと思いました。

具体的な行動に落とし込むとするなら、まずどうなりたい(自分がというよりも、この本のメッセージは社会がどうなって欲しいのかという方に焦点を当てているように見受けられる。著者は行動動機が自分の感情よりも社会が主語になる人なんだろうなと思った)のかを考えるところからなのだが、なかなか難しいなあ。

友達が未来でどうなってて欲しいか、とかを考える方が身近でイメージ湧きやすいかも。まあ、どう頑張ったって制御できない部分はあるのでガッチリ目標定める必要はないと思うけど、指針を決めることはできるはずなので、何かそれを決めて、反射で生きないようにしたいと思っています。

あとひとつ、私はかなりこの本を信じて入れ込んで染まっているが、一歩引いた目で見ることも忘れたらだめですね。